「原発」は「原爆」ではない

2011.08.07 ブログ「国民年金の花柳な生活」から転載

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 季節の移ろいは早い。こちらが歳をとったせいもあるが、時間の浪費は何といっても、政治の怠慢・遅滞の影響が大きい。昨日だったか西村真悟氏のメルマガで「民主党に票を入れた奴は誰だと怒った」話を読ませて頂いたが、氏は矢張り育ちが良い。表現
が優しいのだろう。「入れた奴」氏が2名も乗り出たという。私などはもっと以前から民主党に投票した連中を口を極めて罵っていた。あまり度々「バカ」を連発するものだから、このブログの管理者ページにある検索キーワードの詳細を見ると、「バカ」で検索を掛けている人もある。また、ブログの管理ページもそれに対応してチャンと応えるのだから恐れいる。

 昨日は原爆記念日であった。何時も不思議に思うのは被害者である日本が、この日を国を挙げての一大メモリアル・デーとしている事である。忘れてはならない日である事は間違いない。しかし、被害を受けた方がギャアギャア騒いだところで、ああそうですかでおしまいだ。原爆の廃止については、アメリカが音頭を取り、核爆弾を持っている国が全部集まって、使用禁止を宣言するしか方法がない。持っている方が知らん顔している限り、持っていない方が、いくら騒いだところで彼等が真剣に耳を傾ける事などあり得ないのだ。彼等が真剣になるのは、持っていない国が「持った」時である。日本が核保有国になれば、彼等も真剣に反対の討議に乗るだろう。

 昭和20年の今頃を思い出す。新聞は全国紙の配送が出来なくなっていたので、地方紙の題字の下に全国紙の朝日、毎日2紙の小さい題字が並んでいた。その新聞の一面の真ん中を左右に分ける様に「我は正義に勝てり」という大見出しが縦に印刷されてお
り、広島に投下された爆弾は周辺に相当な被害を与えている事を伝えていた。「正義」で勝っても「戦争」に勝てなければダメではないかと田舎の中学1年生だった私は考えた。あれから66年経つ。

 高校野球が6日から始まり、開会式は犠牲者に黙祷を捧げるところから始まった。広島の式典はそれより早く始まっているが、予想した通り、原爆と原発をごっちゃにした様な平和宣言だった
今日の朝日社説は【原爆投下と原発事故─核との共存から決別へ 人類は核と共存できるか。】で、何時もの持論を語り、対する産経社説は【世界一安全な原発めざせ 今のままでは最貧国に転落だ】 と説いている。

 《核を善悪に使い分けて、日本は半世紀の間、原子力発電所の建設に邁進してきた。そして福島第一原発で制御不能の事態に陥り、とてつもない被曝事故を起こしてしまった。・・・ 日本は、広島・長崎での経験を風化させ、いつしか核の怖さを過小評価したために再び惨禍を招いたのではないか。(朝日)》

 《かつては被爆者自身も核の平和利用に期待を寄せていた。 被爆児童の作文集「原爆の子」・平和教育の原典といわれる本の序文で、編纂した教育学者、故長田新さんは書いている。「広島こそ平和的条件における原子力時代の誕生地でなくてはならない」
 53年12月、アイゼンハワー米大統領の演説「原子力の平和利用」を機に、日本は原発導入に向け動き出す。その2週間後、第五福竜丸が水爆実験の「死の灰」を浴びたことが明らかになる。》

 もともと危険を内包した原発が制御を失えば、人間社会と環境を脅かし続ける。安全性のもろさのが明白になった以上、原発から脱却する道も同時に考えていかなければならない。 世界には推定で約2万3千発の核弾頭がある。原発の原子炉の数は約440基だ。》

 《核との共存ではなく、決別への一歩を先頭を切って踏み出すことが、ヒバクの体験を重ねた日本の針路だと考える。》 この結論は立派だがきわめて抽象的で何一つ具体的な提案はないのだ。現在の世論は圧倒的に「反原発」である。追い風の中で議論を進める事はたやすいが、本当に国の将来を見極めたものかどうか。

 一方、産経の主張はその点を明確にして憂いを持ち、示唆に富むものだ。「世界一安全な原発めざせ」という【主張】には共感し、「今のままでは最貧国に転落だ」とい危惧はその通りである。

 《日本の基幹エネルギーである原子力発電をめぐる諸政策が今、危機のふちにある。原子力は、日本の基幹電源であり、生命線であるだけでなく世界が必要としているエネルギーでもある。原子力発電を論じる際には世界の諸情勢を展望して判断する見識が枢要だ。(産経)》

 《資源小国の日本が、衝動的な脱原発に駆られるのは問題だ。産業の海外移転に拍車がかかり、工業生産や経済活動が停滞する。アジアにおける国際的地位さえ、危うくなるだろう。日本は原発の基数と発電量において世界3位の国である。原子炉の製造や運転管理の両面で世界の最高水準の技術を有している。この知的蓄積をさらに発展、継承し、増え続ける途上国の原発に生かすことこそ日本の責務だ。》

 《エネルギーの安定確保は、国際社会の安全保障とも不可分の重要課題である。ベトナムをはじめ、日本製原発の輸出を交渉してきた相手国への国際的信用を損なってはな
らない。優れた原発を提供することで、日本の安全技術をさらに高めるというフィードバックを機能させてゆきたい。日本列島は、地震の活動期に入っている。津波を含めて耐震性のさらなる強化は必要だ。今回の事故から可能な限りの教訓を学び取り、「世界一安全」と胸を張れる原発をめざそう。》

 半分は巧妙に誘導されたと言っても良い「世論」をバックに、今、日本は坂道を転げ落ちている。しかし、騙されてはいけない。かつて、あの悲惨な原爆投下の後でさえ、人々は発想を逆転させてエネルギーを利用する事を考えていたのだ。毎日の様にセシュウムの数値を発表するだけのメディアの裏側を見落としてはいけない。