聖地、沖縄

 十月二十日から二十一日まで、沖縄にいた。
 十月二十日午後六時からの沖縄県立博物館における、
「第二回『二十一世紀を担う、沖縄の若者達へ』」と題された講演会の講師として沖縄で話す機会を与えていただいた。
 それで、講演会の前と講演会の翌日に、講演会の主催者の皆さんに案内されて、沖縄の戦跡と普天間基地を巡ることができた。
 この講演会の第一回目の講師は、藤原正彦さんで、第二回目が私だった。
 名誉なことだと思う反面、講演の場が沖縄であるから、話す内容に本土にはない注意を払わねばならないと思った。何故なら、ここは大東亜戦争における我が国土内の住民を巻き込んだ地上戦の地で、当然に民間人の戦没者がこの沖縄で異常に多く出ているからである。即ち、沖縄では、親兄弟そして親類縁者に戦没者がいない県民は一人もいないのである。

 それで改めて、沖縄に行く前に、沖縄戦を復習し概観し直した。その上で、確信を持ったことは、
 沖縄は「日本の聖地」だということであった。
 
 現在のイスラエルにとって、二千年前に数万のローマ軍と戦って千名のユダヤ人が玉砕した死海の畔のマサダの丘が聖地であれば、
 現在の日本にとって、六十六年前にアメリカ軍と戦って県民、軍人そして軍属約二十万人が戦没した沖縄も聖地である。
 しかるに、イスラエルが明確にマサダの丘を聖地としているのに対して、我が日本の大勢は沖縄を悪い誤った戦争の犠牲になった地としている。
 つまり、我が国の戦後という時代は、大東亜戦争を「誤った戦争」として片付けるだけで、その歴史の実相と日本人が如何に戦ったかを見つめることが出来ない時代なのだ。
 従って、我が日本が、沖縄をマサダと同じ民族の聖地であると見直すときに、我が国の戦後体制からの脱却と独立自尊の道が拓かれる。

 沖縄の地上戦は、次の経過をたどる。
 昭和二十年三月二十三日以降、沖縄は敵機動部隊の猛烈な空爆に曝される。
 同四月一日、敵部隊嘉手納湾に上陸開始。上陸軍十八万三千人、上陸軍最高司令官サイモン・バックナー中将。
 同六月十四日、海軍壕にて大田実海軍少将自決。
 同六月十八日、敵上陸軍最高司令官サイモン・バックナー中将喜屋武半島視察中に戦死。日本軍野戦重砲兵第一連隊第二大隊の九十六式十五センチ榴弾砲による。
 同六月二十三日、第三十二軍司令官牛島満陸軍中将、参謀長長勇陸軍中将、共に摩文仁の洞窟において自決。
 これにより我が軍の組織的戦闘は終結し、以後牛島中将の命令による各地の残存部隊による遊撃戦に移る。
 同八月二十九日、最後まで遊撃戦を戦った第二十四師団歩兵第三十二連隊連隊長北郷格郎大佐、投降。
 同九月七日、嘉手納において沖縄守備隊の降伏調印。

 沖縄守備隊は、当初の方針により一ヶ月にわたって持久防衛戦闘を戦い抜き、敵の消耗を日増しに増大させた。持久戦は我が方に有利に展開していた。
 敵は次のように述べている。
「これほど短い期間に、アメリカ海軍が、これほど多くの艦船を失ったことは未だかつてなかった。
 また、陸戦で、これほど短い期間に、これほど小さい地域で、こんなに多くのアメリカ兵の血が流されたことも希であった。」
 アメリカ軍戦死者は、一万二千二百十八名である。
 なお、ここに言う、「これほど小さい地域」とは、上陸した嘉手納湾から普天間までの数キロのことであろう。

 しかし、第三十二軍の沖縄の全線にわたる善戦敢闘に勢いついた大本営は、自ら作戦の主役と位置づける「天一号作戦」、つまり航空機による敵艦隊の撃滅の為に、第三十二軍がその支援に回るように、アメリカ軍に対して攻勢に転じて出撃するように促し続ける。
 その結果、遂に五月四日、第三十二軍は要塞を飛び出して全軍を挙げて攻勢に転じた。そして、アメリカ軍の猛烈な艦砲射撃と空爆を浴びてたちまち消耗し尽くしたのである。
 沖縄戦の敗北は、現地沖縄ではなく、東京の大本営の誤った作戦指揮に帰すべきである。

 その中において沖縄県民は、戦ったのである。
 この平成二十三年三月十一日に巨大津波に襲われた東日本の人々が、その惨害に対して、天皇陛下の言われるとおり「雄々しく」挫けなかったように、
 昭和二十年三月から、アメリカ軍の巨大な空爆と砲撃に襲われた沖縄県民も、それに雄々しく立ち向かい挫けなかった。
 
 沖縄県民は、戦ったのである。
 人、将に死なんとするに際し、その言信ずべきであろう。
 そうであれば、大田海軍少将が、自決前に東京の海軍次官宛に打電した決別電報を、我らは信じる。私は、二十日の午後、海軍壕内の大田少将がその決別電報を書いた部屋すなわち自決した部屋の前に佇んできた。それは以下の通り結ばれている。
「沖縄島は・・・一木一草焦土と化せん 
 糧食六月一杯を支ふるのみなりと謂ふ 
 沖縄県民斯く戦ヘリ 
 県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」

西村真悟 
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メルマガ「甦れ美しい日本」から転載