夜明け前が一番暗い 〜 維新前も真っ暗だった証拠
メルマガ版 ロシア政治経済ジャーナル より引用
▼日本の復活を確信するユダヤ人大富豪
時事通信4月3日に、面白い記事がありました。
<「日本、立ち直る」=「命のビザ」に救われた「先物の父」─米シ
カゴ>
という記事です。
「先物の父」とは誰でしょうか?
↓
<「日本は今の苦難を乗り越えると確信している」─。
第2次大戦中、リトアニア駐在の外交官だった故杉原千畝氏の「命
のビザ」でナチス・ドイツの迫害を逃れた米大手先物取引所CMEグ
ループのレオ・メラメド名誉会長が、東日本大震災に見舞われた日
本へエールを送っている。
杉原氏に救われたユダヤ系のメラメド氏は、日本を経由して渡米、
その後、世界最大の先物取引所CMEグループの礎を築いた。
「金融先物の父」の異名を持つ立志伝中の人物で、自他ともに認め
る親日派だ。>
↑
もう少し詳細に。
メラメドさんは1932年、ポーランドに生まれました。
1939年、7歳の時にポーランドを脱出。
ソ連を横断し、日本にたどりつきます。
その後、1941年春にアメリカ・シカゴに渡り、定住しました。
杉原さんに救われたので、「日本が大好きなユダヤ人大富豪」。
そんなメラメドさんは、大好きな日本が巨大地震・巨大津波・原発事
故でボロボロになっていくのを見て、どう感じたのでしょうか?
↓
<同氏自身、大震災から受けた衝撃は大きく、「津波の映像を見た瞬
間、人生で初めて震えとともに体が勝手に後ずさる」ほどだったという。>
(同上)
彼は瞑目し、命からがらドイツを脱出し、めぐりめぐっていきついた日本
のことを思い出しました。
やさしかったお母さんと見知らぬ町で途方にくれる。
言葉もわからず、道もわからない。
これからどうしたらいいのか。
その町は、「神戸」でした。
↓
< メラメド氏は子供の頃、神戸に一時滞在していた。
ある時、母と道に迷い、日本語が分からずに途方に暮れたことがあ
った。
「その時、本当に忙しそうな男性が、住所が記された母の紙切れを
見て状況を察し、時間を割いて目的地に連れて行ってくれた。
(その親切心を)決して忘れたことはない」と当時を回想した。>
(同上)
平時であれば、「親切な人が道を教えてくれた」くらいで、しばらくし
たら忘れてしまったかもしれません。
しかし、もっとも苦しい時にうけたやさしさを、人はずっと覚えている
ものです。
あれから、実に70年の月日が流れました。
メラメドさんが日本を離れた後、日本は原爆を二発落とされ敗戦。
その後奇跡的復活を遂げ、世界第2の経済大国になります。
ところが、1990年にバブルが崩壊。
暗黒の20年で苦しんでいる時に、日本を襲ったトリプル超災害。
しかし、日本国民の冷静さ、高潔さに、世界の人は驚愕しました。
アメリカ人が皆びっくりしている中、ひとりメラメドさんは、「日本は70
年経っても変わっていなかった・・・」と、悲しい中にもうれし涙を流し
たのです。
↓
< 震災後に犯罪が急増しなかった日本に対し、米国で称賛の声が
上がっている。
「米国人にはかなりの驚きだっただろう。でも私には驚きはみじんも
ない。
世界で最も礼儀正しい人々だから」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
とほほ笑んだ。>
(同上)
さて、メラメドさんは、今後の日本についてどう考えているのでしょうか?
↓
<メラメド氏は波瀾(はらん)万丈な自らの人生と重ね合わせ、「人生
は時に不公平だ」と語りながらも、日本が戦後、経済繁栄を遂げた歴
史を踏まえ、
「日本は必ず立ち直る」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
と断言した。>(同上)
ユダヤ人大富豪も日本を信じています。
私たちも日本を信じます。
▼貴重な出会い
全然違う話ですが。
人生には、いろいろな出会いがあります。
私の人生にも、いろいろな出会いがあります。
去年もびっくりするような出会いがありました。
2010年2月某日、私は日本から来る友人を出迎えるため、ドモデ
ドボ空港行きのエクスプレスに乗りました。
そしたら、なんと隣に日本人が座ったんです。
これだけでもすごい確率。
ものすごく気さくな方で、はじめて会ったのに、ロシアのことから
宇宙人まで、本当にいろいろ話しました。
で、後で知ったのですが、私の隣にたまたま座ったその方。
超有名な生物学者・長沼毅先生だったのです!
ひょっとしたら知らない人もいるかもしれないので、先生の活動に
関する番組
<NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 「地の果てにこそ、真実が
ある〜生物学者・長沼毅」(2007年9月18日放送)>
の紹介文を引用してみましょう。
↓
<今回のプロフェッショナルは、変人である。
生物学者・長沼毅。
メールのチェックはロデオボーイに乗りながら。
仕事で調査に向かった先でも、適度な温度の泉水を見かけるやいな
や即席で露天風呂を作ってしまう。
ピューターフラスコにはいつもお酒が入っていて、調査中にもかかわ
らず、一杯やってしまう。
彼からは、心地よさそうな変人オーラが漂っている。
長沼の研究は、生命の起源を探ること。
地球上のあらゆる場所に赴き、サンプルを採取し、微生物を調査する。
ときには火山の火口付近など、生物が絶対にいないだろうと思われる
場所にも調査に行く。
しかし、そんなところにも生物は存在する。
その調査が、生命のルーツを解き明かすヒントになる。
何事においてもそうだが、生真面目に、それだけしか見ずに何かに取り
組むと、周りが見えなくなる。
かちかちに固まった頭からは、柔軟な発想は生まれない。
長沼は、新しい発見を望む人間にとってそんな状況は不都合だと考える。
肩の力を抜いて楽しく向き合うことこそ、新しい発見につながる鍵なのか
もしれない。
変人になること、それは学者にとって必要条件のはずだ。
番組ホストで、東大で博士号を取得した茂木健一郎はそのことについて
「人間って、楽しそうに何かしている人の周りには集まってくるんですよね。
小柴昌俊さんの研究室がそうだったんですけど、なんか知らないけどその
周りは楽しそうなんですよ。
やっぱ楽しそうにやっているとこがいいですよね」
長沼は「原点ですからね、うん」と同意。
また、番組後半で長沼が「"した後悔"と"しなかった後悔"があるけど、自
分は前者の方がいい」というようなことも言っていた。
動いてだめだった方があきらめがつくというもの。
私も全く同感である。
おおらかに、楽しく、積極的に取り組むこと・・・
それが成功への秘訣なのだろうか。>
↑
フォローしておきますが、全然変人じゃないです。
長沼先生は、かっこいい方で、
「ちょっと出張に行ってきます」
「どちらまで?」
「南極まで」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
と、気楽に南極まで出張にいってしまうのです。
なんで、長沼先生の話をしているのでしょうか?
▼夜明け前が一番暗い
そんな長沼先生から、先日久しぶりにメールをいただいたのです。
先生はある雑誌から「震災によせる400字メッセージ」を頼まれ書
かれたのですね。
許可を得て転載させていただきます。
↓
<日本の古代から明治十年までに起きた災害を網羅した『日本災
変通志』という本がある。
池田正一郎翁、卒寿過ぎての大著だ。
この中で特に苛烈なのは幕末の三年間である。
嘉永六年(一八五三)、三月十一日(新暦、以下同様)、小田原大
地震。
七月、江戸湾に黒船四隻来航。
八月、長崎にロシア軍艦四隻。
嘉永七年(一八五四)二月、黒船七隻で再来。
五月、京都大火。
七月、伊賀地震。
十二月二十三日、東海地震。
二十六日、豊予地震。
年が替わって安政二年四月、再び江戸大火、そして、十一月十一日、
江戸直下型の安政大地震。
「夜明け前がいちばん暗い」時代のすぐ前の、もっと暗い時代だった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
しかし、
日本の夜明けは来た。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そして、
今また必ず来る、新しい夜明けが! >
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
↑どうですか、これ?
私は知らなかったのですが、幕末も天災と人災が次々と日本を襲っ
ていたのですね。
しかし、その後日本には英雄が続々と現れ、新たな国家を建設して
いきました。
ユダヤ人大富豪も、世界的生物学者も、日本の明るい未来を確信し
ています。
私たちも、もう一度日本を信じ、濃いコーヒーを飲んで目を覚まし、疲
れた体にいい聞かせ、
一歩を踏み出しましょう。
新しい日本をつくるために。
今回は、日本の明るい未来に関する話でした。