朝鮮半島の人たちに教えてあげよう

メイマガ「頂門の一針」から転載

井上政典

 産経新聞のレポートで、鬱陵島に、竹島だけではなく、対馬も韓国のものだという碑が建てられているとありました。

 これで、わが国の三人の国会議員さんたちの入国を拒否した理由がわかりました。

 この歴史的に見ても明らかに捏造していることを世界に知られたくなかったからなのでしょう。彼国では古文書に書いてあると主張していますが、どの文章か良くわかりません。現存する一番古い文章は、3世紀末に書かれた「三国志」65巻の中の魏書(30巻)のさらに中にある東夷伝倭人の条だと思います。俗に言う「魏志倭人伝」です。

 これより古い文章が朝鮮半島に残っているとは聞いたことがありません。もし私の勘違いならば教えていただければ幸いです。

 その中に;

 【倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。旧百余國。漢の時朝見する者あり、今、使訳通ずる所三十國。郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓國をへて、あるいは、南しあるいは東し、その北岸狗邪韓國に至る七千余里。】

 と明確に書いてあります。

 その内容は、

 【日本人は東南大海の中にあり、山の多い島によって国や村を為しています。もとは百余国でありました。その中には漢王朝に朝見する国もありましたが、いまは通訳の言うところでは三十カ国になっています。
 ここから日本に行くためには、海岸につたって航海し、韓国を経て、あるときは南にあるときは東に行って、やっと日本の北岸の狗邪韓国(くやかんこく)にたどり着きます。】

 と書いてあります。

 ということは、狗邪韓国とは、今の釜山にあたる場所で、朝鮮半島南部が日本領だったことが明確に書いてあります。その後、日本書紀の記述にありますように、任那の日本府が562年まで存在したことも明記されています。

 私の住む福岡は、以前の名前は「那の津」と言っていました。つまり任那に行く港(津)だから那の津というのです。この北部九州、壱岐対馬、そして朝鮮半島の南部をさして、倭国だといっているのです。いまは、海によって隔てられていますが、昔は海によって繋がっていたのです。つまり海路が一番早くそして安全な交通手段だったのです。

 関西の方がこの説を理解するためには関西語圏を考えればいいでしょう、四国の瀬戸内海側では関西の言葉の影響が多くあり、それは九州の大分辺りまでに及んでいます。

 彼国でも、知識人はこのことを知っているため、日本の国会議員が来て大騒ぎになれば、全世界に韓国の蒙昧・無知が知れ渡るため、拒否したとしか思えません。

 歴史をきちんと知ることが、未来の紛争を防ぎます。ただ、このことを以前NHKでは、まったく無視して「日本朝鮮半島2000年」では朝鮮の学者の言いなりになっていましたが・・・。

 不法占拠している竹島を早く返しなさい。そして、対馬の碑も壊しなさい。さもないと、韓国の民度が低いということを全世界に喧伝してしまうことになりますよ。