天皇陛下に敬礼する統合任務部隊指揮官と日の丸行進

メルマガ「甦れ美しい日本」から転載
  
西村真悟

 二十一日、午後一時に大阪の新町北公園に集まり御堂筋を難波まで行進する「自衛隊の皆さん ありがとう 日の丸行進の会」が行われた。
 この「日の丸行進の会」は、冬に路上で寝ている人々に寝袋を配り炊き出しをしている石黒大圓さんが呼びかけ、二十一日は第二回目の実施となった。
 石黒さんは、次のように開催趣旨を言う、
「日本国旗『日の丸』が日本国中にひるがえる機運を盛り上げるために行います。講演会中心の活動では飽きたらず実践を伴った国民運動として毎月行います。日本では祖国の国旗・国歌がうとんじられるという非常識が常識になっています。それはおかしいと思い行動することにしました。
 ・・・前回同様、今回も特に東日本大震災において救援活動に大活躍された自衛隊の皆様への感謝の気持ちを伝え、自衛隊を将来、国防軍とすることに賛同する意義を訴えます。なお、『日の丸の旗』や季節の日本唱歌、計五曲を、皆で行進中に歌い『日本唱歌を歌う日の丸行進』といたします。独特の行進をして日本の国民デモの形を変えたいと思っています。」
 さらに石黒さんは次のことを「注意事項」として付け加えている。「日の丸行進では、過激な『反対』『粉砕』の声はやめて、肯定的な言霊の唱和を行います。また、シュプレヒコールやアピールといった外国語は使いません。」

 この「日の丸行進の会」は、第一回は約百五十名が参加した。第二回の二十一日は、小雨の中で(後半は本降り)百二十名が参加した。私は、小雨の中の昨日の第二回に参加させてもらった。そして、行進出発前に求められて次のように挨拶をした。
「『日の丸』の国旗は、事ある時に国民を一つにする。東日本の津波で流されて何もなくなった荒涼とした被災地のなかに、『日の丸』の旗が一つ立てられていた。その光景は雄々しく感動的で、三月十六日の天皇陛下の国民へのお言葉とともに国民を一つにした光景だった。
 また、私は、我が国の歴史的な、運命的な光景の中に翻った『日の丸』をよく瞼に描く。それは、日露戦争の運命の決戦である奉天大会戦において、明治三十八年三月十日午後五時頃、我らの郷里の連隊である帝国陸軍大阪第三十七連隊第二大隊が奉天城に突入して門に掲げた勝利を確実にした『日の丸』の旗。
 その次は、昭和二十年二月、激戦の硫黄島擂鉢山の頂上に、アメリ海兵隊の立てた星条旗を下ろして二度にわたって掲げられた『日の丸』だ。アメリカ軍は、二月二十三日に擂鉢山に星条旗を立てた。しかし、翌二十四日に山頂に翻っていたのは『日の丸』だった。その『日の丸』は二十四日中に引きずり下ろされたが、翌二十五日の朝には、二度目の『日の丸』が山頂に翻っていた。その『日の丸』は日本軍兵士の血で染めた旗だった。
 皆さん、我々は、この感動的な『日の丸』を今持っている。これを掲げてこれから行進しましょう。」

 この挨拶をしてから、石黒さんの造った行進で歌う唱歌の歌詞を載せた紙を受け取ったが、その紙に載せられた一枚の写真を見て感動で言葉が出なかった。
 それは、四月二十七日、被災地御激励の為、航空自衛隊松島基地に降り立たれた天皇皇后両陛下に正対して敬礼している君塚栄治統合任務部隊指揮官(陸上自衛隊東北方面総監)の写真だった。
 この光景は、マスコミは伝えていなかったと思う。私は、二十一日の行進出発前に初めて拝した。そして、行進中、顔は小雨に濡れるが、そこに感動で滲んだ涙も少々混ざっていた。感動は、行進中から一夜明けた今も続いている。
 陸上自衛隊の迷彩の戦闘服を着て鉄兜をかぶった自衛官が、天皇皇后両陛下に正対して敬礼している。
 これは、戦後六十六年間で、初めてのことである。

 戦後とは何か。それは、日本を軍事占領した連合軍のGHQが日本占領基本法として残していった「日本国憲法」によって縛られた時代である。戦後体制とは日本国憲法体制なのだ。
 従って、その「日本国憲法」九条によって、自衛隊違憲とされ軍隊として扱われず日陰者の扱いを受けてきた。その結果、今まで、各地の災害救助活動においても、一番活躍する自衛隊の姿は故意に国民の目には触れないようにされていた。自衛隊の活動をマスコミが放映するようになったのはつい最近である。
 十六年前の阪神淡路大震災においても、自衛隊が被災した人々を救出し支援する中心的活動を展開しているその現場において、「自衛隊違憲だから支援を受けないで下さい」と書いたビラが配布されていたのだ。
 そして、このビラをまいた者は今政府中枢に入り込んで出世している。驚くべきことである。しかし、これが、「戦後体制」即ち「日本国憲法体制」の姿、光景である。

 しかし、本年三月十六日に天皇陛下は十一日の東日本大災害に際して、国民へのお言葉を発せられ、自衛隊を筆頭に置かれて余震のある危険な被災地における国民の救助、支援活動の労苦をねぎらい感謝の思いを表明されたのだ。
 この天皇陛下のお言葉は、六十六年間で初めてのことである。そしてこのお言葉の前で、戦後の憲法九条体制は消え去っていたのだ。
 このお言葉に接して私は、自衛隊違憲とする戦後体制・憲法体制に悲憤慷慨して割腹自決した三島由紀夫を思い。「三島由紀夫の霊よ、来たりて喜べ」と心で言った。
 さらに昨日、初めて、四月二十七日に松島基地天皇皇后両陛下に正対して敬礼する自衛官の写真を見たのだ!

 これは、東日本大震災という国難の中で、その被災地に顕れた戦後体制が既に終焉していることを示す象徴的な映像である。
 これからは、この戦後体制の終焉を東北の被災地に顕れるだけに止めるのではなく、国政における国家体制の改革そして日本の再興に直結させていかねばならない。
 これが、今生まれ会わしている全日本国民の歴史的責務だ。
 政界においては、時まさに、この戦後体制の象徴的結末が民主党によって二年間にわたって演じられている。
 この現在進行中の民主党によって演じられる日本人として恥ずかしい政治の惨状、これこそ日本国民に、この歴史的責務を自覚させるものである。これを戦後体制からの脱却のための千載一遇のチャンスとしなければならない。
そして、私たちで、戦前と戦後は断絶せず共に連続し、一貫した万世一系天皇を戴く我が日本の歴史の中にあるということを示そうではないか。

 なお、石黒大圓さんは、次回の第三回の「日の丸行進」は
 九月十八日(日)に同じ場所、同じ行進経路で行う予定と呼びかけている。