菅直人首相・終戦の日の「不戦の誓い」が「奴隷の平和」の要求と気付かれているか/対中姿勢は李登輝氏に学べ

メルマガ「台湾は日本の生命線!」から転載

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戦後の国共内戦の一環として金門島砲撃戦が発生してから八月二十三日で五十三周年。台湾の馬英九総統はノーベル平和賞受賞者のデクラーク元南ア大統領や、同賞受賞組織の「地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)」の代表者を伴い、金門島で「平和の鐘」(砲弾の破片で鋳造)を鳴らす活動を行い、自身の対中関係改善の政策が民進党政権時代に比べ、どれほど平和に貢献しているかをアピールした。

たしかに馬英九氏の国民党政権発足後、民進党政権時代に高まった中国との間の緊張は大きく緩和された。しかしそれは馬英九氏が「一つの中国」(台湾は中国の一部)と認め、中共の統一攻勢への抵抗を控えているからにすぎない。だから台中間の交流は拡大したが、中共の対台湾軍事攻略の準備はまったく停止されていない。

だから国民党政権が行っているのは関係改善というよりも投降、売国なのだ。侵略者の前での無抵抗が生む平和など、奴隷の平和でしかないのである。

しかし、そのような台湾国内の政治事情を解さないデクラーク氏は「台湾は平和の典範だ」などと褒めたたえるものだから、国民党は鼻高々だ。

もっとも、それに黙っていられないのが李登輝元総統だ。今回の馬英九氏の鐘衝きパフォーマンスを「あまりに愚か」と批判。「事情を知らない人をわざわざ遠くから呼ぶよりも、ダライ・ラマ劉暁波を招いた方がもっと大きな意義があったはずだし、国民も納得したと思う」と話している。

言うまでもなくその二人は、中共の弾圧、迫害政策の前に立ちはだかり、ノーベル平和賞を受賞した人々だ。

馬英九氏が真の平和を確立したいと思うなら、平和・自由の敵である中共に媚びるのではなく、この二人のように、中共の残忍政策を食い止めることに努力すべきだと、李登輝氏は言っているに違いない。

ちなみに馬英九氏は中共に配慮し、ダライ・ラマ法王の台湾入国を歓迎していない。たしかに〇九年、それまでの拒否姿勢を改め、台風被災者の慰問のための訪台を許したが、それは災害対応の拙さで支持率が急落したため、拒否できなかったからにすぎない。ちなみに世界ウイグル会議ラビア・カーディル議長の入国は拒否している。

こうした経緯を李登輝氏はもちろん知った上で発言したのだろう。そして総氏の正論は、そのまま日本の政治家にも向けて突き付けることが出来る。

たとえば菅直人氏だが、十五日の全国戦没者追悼慰霊式での式辞の中で、英霊を侮辱するかのように「先の大戦では、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた。深く反省するとともに、犠牲になられた方々とそのご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表す」と、明らかに中共の反応を意識した「反省の辞」を読み上げた上で、「ここに我が国は不戦の誓いを新たにし、世界の恒久平和の確立に全力を尽くすことを改めて誓います」「過去を謙虚に振り返り…平和国家として世界の人々との絆を深めてまいります」などと誓約しているのだ。

もちろんこれはよく見られる日本の首相の反省・謝罪劇だが、実際にはこれも「奴隷の平和」を求めるものであるということが、果たしてどれだけの国民に理解されているだろうか。

もし真に「世界の恒久平和の確立に全力を尽くすこと」を誓うなら、中共の軍備拡張など覇権主義的行動を非難すべきである。

馬英九氏はあの日も、相変わらず「不武」(武力行使せず)の原則を強調したが、中共の軍事侵略の脅威に直面しながらの「不武」など、「いつでも降伏する」と言っているに等しい。

菅直人氏の「不戦の誓い」にしても、基本的にはそれと同じ。国民にそのような誓いを強要するというなら、とんでもないことだ。奴隷の平和が平和などではないことなど、チベット東トルキスタン南モンゴルなどの状況を見ればよくわかることだ。

そのようなものは拒絶し、そのためなら中共独裁体制の打倒をも厭わないほどの気概を持たなければならない。李登輝氏の発言を受け、改めてそう思うのである。