中共が野田政権に期待する「菅政権以上の媚中」

 メルマガ「台湾は日本の生命線!」から転載

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中共御用メディアは、九月二日に就任した野田佳彦首相に関し、八月二十九日の民主党代表選出直後は「軍人家庭に生まれた」「領土問題で中国に強硬」「A級戦犯戦争犯罪人ではないと考えている」等々で、対中強硬派、タカ派であるといった警戒感剥き出しの論評を掲げ、同氏を牽制して見せたものの、その後はややトーンダウンさせ、「その言を聞きその行いを見る」という、いつもながらの監視、様子見の姿勢に転じている。

つまり中共側は、野田氏の思想信条が反中共であれ何であれ、同氏を含む日本の政治家に対し、実際にはさして警戒していないということもできる。

それよりも、新たな野田政権を、いかにコントロールを加えるかばかりを考えているのではないだろうか。

それは香港紙明報(八月三十日)の次のような論説を見ても、そう思う。

―――野田は領土争議や領土問題では右翼的な主張を見せているが、日本の首相の場合、その従来の言行からだけでは、その外交上の立場は分からない。たとえば安陪晋三は首相就任前、靖国神社に関して中国の国民感情を傷つける言論をしばしば見せてきたが、就任後の最初の訪問国は中国だった。あの「破氷の旅」は当時の中日関係改善の上で、なおざりにできない重要意義が伴っていた。

野田氏は二日、就任後の記者会見で、靖国神社不参拝を表明。これに対する中共の喜びや安堵感の大きさは、日本国民の想像以上のものではなかっただろうか。

なぜなら中共の圧力に屈服して国の戦没者の慰霊を控えるということは、属国としての忠誠心を中共に対して示すことを意味することを、彼等ははっきり知っているからだ。

そうしたこともあってか、中共は余裕綽々に見える。

それは、その御用メディアによる野田内閣の閣僚たちへの批評を見ても感じられることだ。

たとえば香港紙星島日報(九月三日)は、玄葉光一郎外相に関し、「中国や米国に関する外交的言論を見せたことがない」とし、「外交経験は白紙」で片付けている。

しかしそれではあまりにそっけないと思ったか、玄葉氏が石橋湛山元首相を尊敬しているという点に着目し、「石橋氏は日本のアジアに対する殖民政策を批判し、首相退任後は中国との国交樹立に力を致し、五九年と六三年には訪中して周恩来氏や毛沢東氏と会見している」などと、石橋氏の紹介に力を入れているのだから、いかに外交面での経験が不足する玄葉氏が侮られているかがわかるだろう。

一川保夫防衛相に対しても、「安全保障は素人だが、これが本当のシビリアンコントロールだ」と発言し、自民党政調会長で元防衛相の石破茂氏から「その一言だけで解任に値する」と批判されたことを強調している。一川氏はやはり、あのような中共に足元を見られる発言は、決してするべきではなかったのだ。

香港の鳳凰網などは各閣僚を紹介する中で、藤村修官房長官に関して、「ベテラン親中派」と強調している。「藤村の中国に対する態度はとてもよく、親中派だ。かつて国会で『北京オリンピックを支援する議員の会』の事務局長を務めていた」ことを殊更強調している。「親中派」とはいうまでもなく、「中共の嫌がることはしない・言わない」人物の代名詞。むしろ「媚中」と呼んだ方がいい。

ここまでなめられている野田政権。先に紹介した明報の論説は、日本の首相は就任後、右翼的な主張は控えるものだと指摘した後、次のように付け加えている。

―――それとは逆に菅直人は、首相就任前は多くの親中的な言論があり、その就任は中日友好関係の促進に有利だと見られてきたが、予想外にも釣魚島問題で中国のギリギリの線に抵触し、中日関係を直接悪化させてしまった。

要するに「菅直人前首相は親中派とされるが、大きな過ちを犯してしまった。野田首相には菅直人以上の親中姿勢を期待する」と言っているわけである。

具体的には、尖閣問題において日本領海を侵犯した中国船を拿捕するようなことは断じてしないなど、これまでにない屈従姿勢を期待しているのだ。

日本国民もまた、先ずは中共に対する野田内閣閣僚の「その言を聞きその行いを見」なければならない。