ブータン国王のスピーチに思う

人口わずか70万人のヒマラヤの国・ブータン国。

そのブータン国王の素晴らしいスピーチは、我々日本人にとっては、た
いそう心温まる ものであり、勇気付けられた。国王の素直なお心遣いに
対し素直に受け入れ、感謝申し上げたい。

それは、日本人の「(心の)忘れ物」を思い起こしてくれたことだ。い
まどきこんなスピーチをさりげなくできる日本人がいるだろうか。国王
は最高の国際人である。

しかし、ここに忘れてならないことがある。

国王の謝辞はけっして“現象日本人”に対してだけのことではないとい
うこと。国王の視点は“理念としての”美しい日本、表面から隠れたと
ころの、我々の先人が残してくれたところの日本の伝統・文化、日本人
の心の美しさ・・・にあるものと思う。

東北大震災の現場には日本人の原初的な慎ましさと助け合いの精神が在
ったということだ。それが国王には、日本人の資質として映ったという
ことであろう。それは現代都市住民の寒々しいものとはかなり違うと思
う。そう思わなければ、今の特殊日本人をみる限り、それは、傲慢とい
うものではないだろうか。

現象的には、ノブレスオブリージュの精神を失った特権階級の作為・不
作為、勲章に群がる性癖、「情報隠蔽」体質、長いものにまかれろ式の
卑怯精神の横溢、レッテル張りの性向、世界の文明的動きや真贋を峻別
できない稚拙性、日韓、北朝鮮に対する屈従外交、なんでも閉鎖性の精
神、世界に冠たる既得権益⇒中国人も驚く。

外国には見られない「国内敵」の多さとその不思議・・・(「国内敵」
の多さは、昨夜わざわざそのことで西日本の大学名誉教授から電話があっ
た・・・あらためて驚いた!と)もちろん世界に誇れるものもたくさん
ある(割愛)。

『二千五百年史』(竹越与三郎著)には、個人の意見を極力排して、東
西交流の比較史的観点から、明暗を含む日本通史が、事実に即して淡々
と書かれている。

そこには日本人を大人にし、閉鎖性を打破する知恵が隠されていると思
う。そこには文明の知恵が在る。明治の時代には竹越を含む、“スケー
ルの大きい、凄い人物”がいたものかと、いまさらながら驚く。

当時の“政治的、社会的な本質的緊張”が、偉大な人物を生んだのでは
なかろうか。

さて、なぜ国王が留学先を英国に求めたのか?

私の率直で素朴な疑問であるが、もし“日が昇る日本”であれば、黙っ
ていても外国人は日本に学びに来る筈だと思う。そういう外国人を受け
入れる知的環境さえも整っていないとすれば、“日が昇る日本”の到来
はまだまだ先のことということになる。それとも、日本で勉強しても、
本当のことはわからない、ということか? 情報隠しが さかんだとすれ
ば、そういうことにも通じる。

日本人はこういう国王の話は好きな民族だ。文化大国なので反応ははや
い。気持ちはわかる。保守の人たちも、ブータン国王のスピーチにただ
酔うだけではいけない。ただ感心するだけでは片手落ちではないか。今
の日本の現状を振り返ってそこから教訓を引き出さなけ れば・・・。元
首や首相の発言からは大事なメッセージを読み取らないといけない。

日本という国を、もう一度大掃除するつもりで、見直しする必要を感じ
ている。

「野球は数字じゃない」・・ご存知 アスレチックスを強いチームにし
たてた映画のセリフの一部だが、こういう 社会に元気を与える映画が、
さりげなくできるのもアメリカ社会の特徴。明も暗も含めて・・・・そ
こには事物の両面性を認める、モザイク社会ゆえの、アメリカ社会の逞
しさ、国際性もある。

島国的、閉鎖的な根性では日本再生のアイディアは出ないのではなかろ
うか・・・

のちほど、その証左の情報(の一端)を発信したいと思う。 TPPにしても、
単なるメリット比較論を超えた世界がありそうです。国際性をはかる基
準は、巨視的なところに・・・

浜田 實

メルマガ「頂門の一針」から転載