「アジア情勢の変化と日本」

ミャンマーに関する情勢に変化が見られる。我が国は、この変化を注視しなければならない。
 もっとも、日本外交は、対ミャンマーに関して、二十年以上にわたってアメリカに追随して経済制裁を続けるだけで、「はじめの重大な変化」に無関心であった。従って、現在、「この度の変化」にも関心を示していない。
 どじょうが、今バリ島に行っているのであるが。

 では、ミャンマーの「はじめの重大な変化」とは何か、そして、「この度の変化」とは何か。
 はじめの変化とは、ミャンマーと中国の接近である。
 この度の変化とは、ミャンマーへのアメリカの接近である。

 ここで、我が国とミャンマービルマ、以下、ミャンマーと言ったりビルマと言ったりする)の関係を認識しておく必要がある。
1、ミャンマーは、日本を英国の植民地支配からの独立の恩人として敬意を表してくれる国である。
 ビルマの独立の英雄、アウン・サン将軍は、日本に逃れて匿われ、同志と共に海南島で日本軍の軍事訓練を受けてビルマ独立の戦いを始める。
 そのアウン・サン将軍の娘が、現在のアウン・サン・スーチー女史である。
2、アジアの東の端の仏教国が日本であれば、西の端の仏教国がミャンマーである。ミャンマー国民は人生に一度は出家してお坊さんになる。早朝のミャンマーの街角には、托鉢に向かう頭を丸めた小学生ほどの小さなお坊さんの列が見られる。
3、ミャンマーと国民は、非常に穏やかで非常に親日的である。
4、しかしながら、アメリカやミャンマーを残忍な植民地支配で苦しめたイギリスは、ミャンマーが軍事政権であるが故に二十年以上にわたって経済制裁を実施し、我が国もそれに追随していたのだ。

 私が、初めてミャンマーを訪れたのは、平成六年で、その時の印象は次の通り。
 ミャンマーは軍事政権ではあるが、北朝鮮天安門事件の中国の軍事政権とは全く違う。強権的なところはない。ミャンマー国内は平穏であり、かっぱらいが多い日本の大阪より安全である。
 北朝鮮や中国の軍事政権なら、反体制派の代表であるアウン・サン・スーチーをすぐ殺すのであるが、ミャンマーは彼女を首都ヤンゴンにある父親のアウン・サン将軍の広大な邸宅に軟禁しているだけである。
 軍事政権の最高実力者キン・ニュン第一書記と会見して、スーチーさんをどうするのか、と尋ねたところ、第一書記は「彼女は、建国の父であるアウン・サン将軍の娘だ。従って、私たちは彼女を妹と思っている」と答えた。
 同時にキン・ニュン第一書記は、次の通り言った。
「彼女には民主化要求だけがあって経済政策はない。これでは、国民を生活させることはできない。
 彼女にはイギリス人の夫と子供がおりイギリスに家がある。しかし、我々五千四百万のミャンマー国民は、このミャンマーの大地で生まれこの大地で死ぬんだ。
 今彼女の言うとおりにすることはできない。彼女の主張は、かつて我々を人間として扱わずに苦しめたイギリスの指図によるもので、これはイギリスの第二植民地主義だ。」

 このミャンマー訪問で、私は、我が国はイギリス・アメリカに追随してミャンマー経済制裁するのは間違っていると明確に判断できた。
 そして、我が国の国益のために、最貧国にあえいでいるミャンマーを援助すべきだ、天安門事件で人民を殺しまくり核ミサイルの開発を続ける中国に援助しながら、ミャンマーを制裁するのはけしからん、我が国の国益を無視している、と国会などで主張した。

 そこで、このミャンマーに係わる我が国の国益であるが、これは大東亜戦争の初期の自存自衛体制確保のための南方作戦、西亜作戦の西端の戦線がビルマ作戦であったことからも明らかであろう。ビルマが西のインドを支配するイギリス軍の出撃基地になれば、我が国の南方資源地帯の確保は困難となる。
 従って、我が国には、シンガポールからイギリス軍を駆逐した後にビルマを確保することが必要であった。
 そして、現在もアセアンの西の端のミャンマーと我が国との連携は我が国のシーレーン確保とASEAN諸国の平穏と安定と成長に必要である。

 ところで、このミャンマーを北の中国から見ればどうか。
中国はミャンマーに浸透することによってインドを西のパキスタンと東のミャンマーで挟み撃ちにすることができる。
 更に中国は、ミャンマー内を南下してインド洋に進出することができる。
 従って、中国は、ミャンマーを飲み込むことによってインドを黙らせ、東の南シナ海と西のインド洋からASEAN諸国を包囲すると共に、日本のシーレーンを抑えることができる。
 つまり、ミャンマーは、中国にとって一石三鳥の地域であり、是非飲み込みたい戦略的要衝である。
 即ち、ミャンマーと中国の一体化は、我が国の戦略的敗北に繋がり中国のアジアでの一人勝ち、覇権獲得をもたらす。

 従って、現実に中国はミャンマーを通ってインド洋への南下を開始する。仮に、中国とミャンマーとの国境から、中国がミャンマー中部のマンダレーまで高速道路を敷けば、マンダレーからはイラワジ河に船を浮かべてインド洋に直結できる。
 この構想を裏付けるように、ここ十年、マンダレーにおける中国人の土地家屋の買い占めが激化していた。そして、遂にミャンマーは、インド洋アンダマン海に中国海軍のレーダー基地建設を認めたという情報がもたらされるに至った。
 
 そこで何度目かの訪問で、キン・ニュン第一書記に会ったときに、彼に尋ねた。
ミャンマーは中国のレーダー基地をアンダマン海に許したのか、ミャンマーは中国からの軍事援助を受け始めたのか」と。
 第一書記は答えた。
「それは違う。我々は中国と隣国同士として近所つきあいはする。しかし、決して中国の弟にはならない」

 その後、四度ばかり、キン・ニュン第一書記に会っただろうか。彼はきりっとした体をもった誇り高い情報将校で親日家であり恩義にあつい男だった。それで時々、日本は我々の恩人だと言った。何時も軍服を着ていた。
 初めての会見のとき、彼は日本人である私に、ビルマ独立の礼を言った。
 私も、ビルマ戦線で戦没しビルマの土になった十九万の日本軍将兵の霊を貴国は今も弔ってくれていることに心からお礼を申し上げると言った。
 彼は会見の後に西村は軍人かと側近に尋ねたと聞いた。

 このキン・ニュン第一書記が突然失脚する。そして、ミャンマーの首都もインド洋沿いの古都であるヤンゴン(ラングーン)から中部のネビドーに造成された。
 キン・ニュン第一書記失脚から、中国のミャンマーへの「南下」がさらに激しくなり止まらなくなったことを思えば、彼はミャンマー浸透を狙う中国とそれに同調する国内の勢力の邪魔になったので失脚させられたのではないかと推測できる。
 アメリカやイギリスの経済制裁を受けて貧困にあえぐミャンマーを支えていたキン・ニュン第一書記は、中国の金に任せた傲慢な進出を止めるために、如何ばかり日本に期待し日本からの援助を望んでいたことだろう。
 彼が失脚する前、ヤンゴンで彼と会っていた。会見を終え、辞退してドアに向かう私を彼が「シンゴ」と呼び止めた。振り向くと、彼は下を向いて片足で床をポーンと踏みしめ、名残惜しそうに私を見て、「今度来たときには、私がシンゴをミャンマーの国境地帯に案内する」と語った。
 それから暫くして、日本でキン・ニュン第一書記失脚のことを知った。
 それからミャンマーへは、三年前の巨大サイクロトン(台風)被害調査でヤンゴン周辺と首都ネビートーを訪れただけになった。

 話しを戻すが、以上の間、我が国政府は、ミャンマーへの中国の南下に反応せず、アメリカに追随して漫然と対ミャンマー制裁を続けていたのだ。
 その中にあって、私は、ミャンマーの首脳と会見する度に、「中国警戒すべし」との警告を発し続けてきた。我が国の国益のために、いささか働けたのだと自負している。

 そこで、この度のミャンマーの変化であるが、
 まず第一に、ミャンマー政府が、民政に移行するために、民主化へ着実に動いてきたことは確かであり、その上で、ミャンマー政府は、中国がミャンマー国内で建設中の巨大ダムの建設中止を決定したということだ。
 これは、ミャンマー国内での中国の傲慢な浸透に対する嫌気と反中国感情がダム建設中止の政府決定に至らしめたものである。
 この度のダムも、中国企業による建設で、発電した電力もほとんど中国国内に送電する為に建設されており、ミャンマーにとっては全く馬鹿らしい工事であった。
 やはり、私がインドネシアの例を挙げて言っていた通りである。中国とはイナゴだ。よいところだけ食い尽くして回りを疲弊させていく。中国の進出とは、疫病神が来ることである。
 
 次に、ほぼ五十年ぶりにアメリカの国務長官が、ミャンマーを訪れる。
 ヒラリー・クリントン国務長官個人としては、軟化して現政権の選挙に参加する意向を示しているアウン・サン・スーチー女史に会い、アメリカがミャンマーの民主主義進展を励ましているという写真を撮りたいのだと思うが、我が国としては、このアメリ国務長官の半世紀ぶりのミャンマー訪問を、ミャンマーの中国から離れてアメリカや日本重視へ転換する地政学上の重要な契機と捉えるべきである。
 つまり、はっきり言うならば、我が国は、インド、アメリカ、アセアンと共に、インド洋を中国の海には絶対にさせない国際的体制の構築に進むべきである。
 同時に、我が国政府は、親日ミャンマーに対する援助を一挙に再会するべきだ。
 さらに、我が国国内の外国人留学生に奨学金を出している各種団体から、奨学金を受け取る外国人はほとんど中国人であるが、これからは、率先して貧しいミャンマーからの留学生に奨学金を出すべきである。
 中国人にODAや奨学金を出すことほど、馬鹿馬鹿しいことはない。にもかかわらず、何故日本政府と日本人の組織は、振り込み詐欺(いや、恐喝)の被害者のように、中国人にばかりODAや奨学金を出し続けるのか。
 
 以上の通り、国家戦略の実現を外国人に奨学金を出す非政府系の民間組織に期待する訳は、今の無反応な民主党の政府に任せていて、我が国の国益を守れるものではないからである。

西村真悟 

メルマガ「甦れ美しい日本」から転載