無かった強制女郎

2007年3月27日 読売新聞『基礎からわかる「慰安婦問題」』から基礎的
知識をおさらいしたいと思います。

慰安婦は,戦時中に軍専用の「慰安所」と呼ばれる施設で対価を得て
将兵の相手をしていた女性のことだ。

政府が93年8月4日に発表した調査報告書「いわゆる従軍慰安婦問題につ
いて」によると,32年ごろ中国・上海に慰安所が設けられた記録があり,
45年の終戦まで旧日本軍が駐屯していた各地に広がった。軍直営の慰安
所もあったが,多くは民間業者により経営されていた』

慰安婦は,従軍看護婦や従軍記者らのように「軍属」扱いされること
はなく,「従軍慰安婦」という呼称は存在しなかった。その呼称が広ま
ったのは戦後のことで,作家の千田夏光氏が73年に出版した「従軍慰安
婦」の影響が大きかった』

秦氏(現代史家・元日大教授)の推計によると,慰安婦の約4割は日本人
で,中国などの女性が約3割,朝鮮半島出身者は約2割だったとされる』

『政府は,「旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した」として,
旧軍が「関与」したことは率直に認めている。・・・一方で,慰安婦
強制連行については「公的資料の中には,強制連行を直接示す記述はな
い」と明確に否定している』

『「強制連行があった」という見方が広がるきっかけとなったのが,83
年に元「労務報告国会下関支部動員部長」を名乗る吉田清治氏が出版し
た「私の戦争犯罪」という本だ。

・・・しかし,この本は90年代半ばには研究者によって信憑性が否定さ
れ,安倍首相も07年3月5日の参院予算委員会で,・・・強制連行の証拠
にはならないと指摘した。』

陸軍省が中国派遣軍にあてた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(38
年3月4日付)では,誘拐に近い募集など問題のある業者がいると指摘し,
・・・軍としては,募集が強制的にならないよう注意をはらっていた』

慰安婦問題が政治・外交問題化する大きなきっかけを作ったのは,92
年1月11日付の朝日新聞朝刊だった。「日本軍が慰安所の設置や,従軍慰
安婦の募集を監督,統制していことを示す通達類や陣中日誌が,防衛庁
防衛研究所図書館に所蔵されていることが明らかになった」と報じた
もので,

従軍慰安婦」の解説として「解説当初から約8割が朝鮮人女性だったと
いわれる。太平洋戦争に入ると,主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強
制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる。」とも記述していた』

この問題に関して,92年7月6日に当時の加藤紘一官房長官,93年8月4日
河野洋平官房長官が政府の見解を発表している。いずれも,慰安所
設置や管理への軍の関与は認めたが,強制連行を裏付ける資料の存在は
否定するものであったが,河野談話の表現があいまいであつたため,官
憲による強制連行を政府が認めたという誤解を生んでいる。

インド・ビルマ戦線所属の米陸軍戦争情報局心理作戦班による従軍慰安
婦への聞き取り調査「US Office of War Information,Psychological
Warfare Team Attacched to US Army Forces India-Burma Theator
APO689」

では,米軍調査官の日本軍による強制はなかったかという問いに,すべ
ての慰安婦が強制を否定した。

1980年頃もまだ,横須賀の町には米軍が管理するセクス・パーラーがあ
り,角にある交番の警官が日本人の立ち入りを阻止していました。ここ
の従業員の性病検査は米軍の軍医が行い,取締りを米軍の憲兵が行って
いたことは,山田 詠美の 『ベッドタイムアイズ』にも活写されていま
す。

どこの国の軍隊も,性病による戦力の減少や,機密の漏洩を防ぐために,
将兵の遊興は軍の監督に従う施設以外には認めていません。

河野 道之

メルマガ「頂門の一針」から転載