「従軍慰安婦」という妄言

「慰安」とは「慰めて心を安らかにすること」(広辞林第五版、昭和
48/1973年第一刷)。広辞林には「慰安婦」という言葉はないが、岩波書
店「広辞苑」には「慰安婦=戦地の将兵を慰安する女性」とある(昭和
61/1986年第三版第四刷)とある。しかし「従軍慰安婦」という言葉はい
ずれにもない。

戦前は「慰安婦」募集が盛んに行われていた。公娼制度もあったし、売
春は天下公認の職業だった。醜業婦などと言う蔑称もあったが、一般に
は「娼妓」と言われ、戦地で主に将兵を相手にする女性を「慰安婦」と
言ったようである。

京城日報」(1944年7月26日付)にはこんな募集広告が載っていた。

慰安婦至急大募集 年齢:17歳以上23歳まで 勤め先:後方○○隊慰
安部 月収:300円以上(前借3000円まで可)」

サラリーマンの初任給が40円ほどの頃であるからその7〜8倍の高給で、
暴動を招くような強制連行をしなくても応募者は多かったろう。半島や
大陸では朝鮮人の娼婦が多かったようだ。

<制度としての慰安婦は、軍相手の「管理売春」という商行為をおこな
う存在であり、慰安婦には報酬が支払われていたが、過酷な性労働を強
いた性的な奴隷に等しいとする主張もある。

日本のケースでは民間業者が新聞広告などで広く募集するなどして日本
人女性以外からも慰安婦を採用していたが、慰安婦を強制連行したか否
か、強制的なものであったかなどの点について論争がおこなわれている。

1983年に吉田清治済州島で「慰安婦狩り」を自ら行ったとする「私の
戦争犯罪朝鮮人強制連行」を出版。1989年に韓国でも出版され、同年
中に済州島新聞や済州島郷土史家の金奉玉によって虚偽であることが判
明した。

1993年、韓国政府は日本政府に日本の教科書に慰安婦について記述する
よう要求し、全ての高校教科書に「従軍慰安婦」として記載されること
となった>(ウィキ)

吉田清治」は大嘘をついて金儲けをした売国奴、破廉恥漢として有名
だが、未だにその言を信じている人がいるから実に厄介だ。

一攫千金を狙って自発的に慰安婦になる人もいたろうし、家族を養うた
めにやむを得ず慰安婦になった人もいたろうが、なかには騙されたり、
誘拐されて売春婦になったというケースもあったろう。

1933年6月30日付「東亜日報」は、誘拐した少女を中国人に売り飛ばした
朝鮮人の人身売買組織が日本政府によって検挙されたことを報じている。

ルバング島から戦後29年を経て奇跡の生還をした小野田寛郎氏が「私が
見た『従軍慰安婦』の正体」を書いている(「正論」2005年1月号)。以
下はその大要である。

戦後60年大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつ
ある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったこ
とを書き残そうと考えた。大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに
存在した。当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然で
ある。

野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」という言
葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」という言葉は聞いた者も、
また、使った者もいまい。私も聞いたことがない。それは日本を貶める
ために後日作った造語であることは確かだ。

淫らな言葉だが、中国戦線では「ツンコ・ピー」「チョウセン・ピー」
と呼んでいた筈であるが、そのことは、誰も他の人の見ているところで
する筈のないことだけに、仲間どうしの話はあからさまでも、公衆の面
前で手柄顔に大声でこと細かに話せる者はまずいないだろう。陰で笑い
者にされるのが落ちだからだ。

そのためか「慰安所」のことも「慰安婦」のことも、公の場で自己の見
聞を正確に発表する人が少ない。「ピー」は中国戦線で兵士たちが隠語
として使っていたのだが、語源は中国語で、戦場からの帰還兵から日本
内地にも伝わっていた。曰く「ピー買い」である。

それはともかくとして、あまり詳しいと「よく知ってるね」と冷笑され
るのが落ちだろう。「では何故、君は」と私に聞かれるだろうが、幸い
私はその実態を外から観察できる立場にあったから、何も臆することな
く、世の誤解を解くために発表することができるのだ。

商社員として17歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)に渡った。私
は仕事が貿易商だからよく歩いた。ある日、兵士に「慰安所はどこか知
りませんか」と路上で尋ねられ、一瞬思い当たらず戸惑った。

しかし看板に黒々と「漢口特殊慰安所」と書いて壁に掲げていて、その
前に歩哨と「憲兵」の腕章をつけた兵隊が立っている場所を思い出した
のでその通り教えてあげた。

私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には慰安が必要だ
ろう、小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・うどん他がサービス
されるのだろうと早合点していた。

ところが、私の知人が営む商社は日用品雑貨の他に畳の輸入もしていて、
それを「慰安所」にコンドームなどと一緒に納入していたので「慰安所
の出入りが自由であった。彼に誘われ、一般在留邦人が入れない場所だ
からこれ幸いと見学に行った。

そこには内地人も鮮人も中国人もいた(現在、鮮人は差別用語とみなさ
れ使われない。しかし朝鮮半島が日本統治だった当時は「日本人、朝鮮
人」などと言おうものなら彼らに猛烈に反駁された。彼らも日本人だか
らという理由である)。群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚
びてきた。

料金は女性の出身地によって上中下がある。料金も将兵の階級が上の方
が割高で、女性たちは当然、同じ時間で多く稼げることになる。内地人
のある娼妓は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年か
一年で洗える」と言い、中には「1日に27人の客の相手をした」と豪語す
るつわものもいた。

漢口の街に朝鮮人の女たちは数人で外出してくるのだが、彼女たちは実
に明るく楽しそうだった。その姿からは今どき大げさに騒がれている
「性的奴隷」に該当するような影はどこにも見出せなかった。

明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘に
とっては売り飛ばされたことに変わりはなかった。

先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言う
のだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいるという話
はしばしば聞いた。

騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。「『従軍看
護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。私は高等女学校出身なのに」と
兵士や下士官を涙で騙して、規定の料金以外に金をせしめているしたた
かな女もいた。またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実で
ある。日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。

ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが
慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。

私の兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠に
いたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。

時、漢口周辺には約33万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全
軍の兵士の金銭出納帳を調べた。3分の1が飲食費、3分の1が上司から躾
として教えられている郵便貯金、3分の1が「慰安所」への支出だった。

当時の給料は兵は1か月平均13円ほどで、その3分の1を約4円として計算
すると33万人で総額約132万円になる。「零戦」や「隼」といった戦闘機
1機の価格は3万円と言われたが、実に44機分にも相当する。経理部の驚
くのも無理のない話である。

以上が、私が商社員として約3年半の間、外部から眺め、また聞き得た
慰安所」と「慰安婦」の実体である。これでは誰がどう考えても「商
行為」であるとしか言いようがないだろう。

「商行為」ではない、軍による「性的奴隷」であるとそれでも強弁する
とすれば、知らな過ぎるか、愚かで騙されているか、そうでなければ関
西人が冗談めかして言う「いくらか貰ろてんの?」なのかもしれないが、
あまりにも馬鹿げた話である。

次に、軍関与の暴論について証言する。私は二十歳で現役兵として入隊、
直ちに江西省南昌の部隊に出征した。営舎係だったので何度も歩哨を引
率して巡察に出た。巡察区域の中に「慰安所」も含まれていた。鉄帽を
被り、銃には弾を装填し夜間はもちろん着剣である。

その姿で「慰安所」の周囲だけならまだしも、屋内も巡察し、責任者の
差し出す現在の利用者数の記録を確認する。軍規の維持とゲリラの奇襲
攻撃を警戒しているからである。

考えてみるまでもない、そこで遊んでいる兵士は丸腰どころではない。
もっと無防備で不用心な姿の筈である。その将兵を守るべき責任は部隊
にあるのは当然だ。それに性病予防の問題もある。そんな田舎に医師や
病院がある筈がない。性病予防のため軍医や衛生兵が検査を実施するし
かない。

慰安所」の経営者は中国人だったし、日本では当時公認の娼妓と呼ば
れた女たちも中国人だった。彼らも食料やその他の生活用品が必要だ。
大人数なのだから、それなりの輸送手段もいる。辺鄙な場所だから部隊
に頼る以外方法がない。

もう60年も昔のことである。時代が変わり、また平時と戦時の違いもあ
る。したがって娼妓(ここでは慰安婦に相当する)に対する解釈も当然
変化している。そうであるにもかかわらずすでに証拠も不完全になって
いることを幸いに、今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いはなん
なのか。言えることはただ一つ、不完全だからこそ喚き散らしていれば、
何かが得られると狙っているということだ。

戦場に身をさらし、敵弾の洗礼を受けたものとして最後に言っておく。

このことだけは確かだ。野戦に出ている軍隊は、誰が守ってくれるのだ
ろうか。周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を怠れない
のだ。自分で自分を守るしか方法はないのだ。軍は「慰安所」に関与し
たのではなく、自分たちの身を守るための行為で、それから一歩も出て
いない。

従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれ
を仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと
いうだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ少な
い給料の中から高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか>
・・・

小野田氏の見聞と体験は貴重であり、「従軍慰安婦」という虚妄を鋭く
暴いている。だが、この世は「証拠より論」で、嘘も百辺言えば本当に
なってしまうという愚かさである。

だから中共製「南京大虐殺」や韓国製「従軍慰安婦」などを含めて捏造
が得意な隣人には用心しないといけない。国交断絶する覚悟、戦時の備
えこそ必要で、友好なんてとんでもない話である。

平井 修一

メルマガ「頂門の一針」から転載