エネルギー問題のウソとホント

私はエネルギー問題の専門家ではありませんが、原発事故以来、「原子力村」の専門家が沈黙し、発言しても信用されなくなったため、原発のリスクについて誇張された情報が流布しています。これを放置すると数十兆円単位の損失が発生するので、あえて私が問題提起することにしました。テクニカルな間違いがあると思いますが、専門家の批判を歓迎します。

原発事故の「被害」とは何か

今回の震災では、津波によって2万人近い死者・行方不明が出ましたが、放射能では1人も死者は出ていません。原発の地下室で津波によって2人がなくなりましたが、致死量の放射線を浴びた作業員もいない。

政府の「計画的避難区域」では年間の被曝線量が20mSv(ミリシーベルト)を超えるおそれのある地域からの避難を勧告しましたが、高田純氏の調査によれば、原発の周辺でも年間20mSvを超える線量は観測されていません。農産物などの残量放射線も5000ベクレル/kg程度で、これはSvに換算すると0.1mSv/kg程度で、健康にはまったく問題ない。

したがって東電が賠償するとすれば、半年近く避難した人々への補償は必要で、農産物などの「被害」には実体がない。心理的な風評による減収をどう考えるかは慎重に考える必要があります。東海村のJCO事故のときは、農協の要求する風評被害を無条件に認めたため、150人が退避しただけなのに賠償額は150億円にのぼりました。今回、それと同じ基準で賠償すると、10兆円を超えます。

放射線の被曝限度には問題がある

さらに問題なのは、ICRPの決めた被曝限度に科学的根拠がないことです。放射線医学では、累積値で100mSv以下で発癌率が増えたというデータはありません。ICPRについては、中川恵一氏など多くの科学者がICRP基準を批判しています。

特に問題なのは、どんなに微量の放射線でも発癌率を高めるというLNT仮説(線形閾値なし仮説)で、これは1958年に医学界の反対を押し切って決められたものです。これはあくまでも仮説であり、科学的に証明されていません。100mSv以下のわずかなリスクは統計的な誤差に埋もれてしまうので、100mSv以上のデータをそれ以下に外挿して推定しているだけです。

しかし実際には、100mSv以下で統計的に有意な発癌率の上昇はみられず、むしろ微量の放射線を受けたほうが発癌率が下がるホルミシス効果があるともいわれています。ラドン温泉などは、こうした効果を売り物にしています。

微量放射線が健康に影響を及ぼさないのは、人体にそういう微細な遺伝子の傷を補修する機能があるからです。たとえば耳のすぐ横で爆竹を爆発させたら難聴になるでしょうが、100m先で爆竹が鳴っても鼓膜は傷つきません。生物の自衛力・復元力は強く、外部からの刺激による傷には一定の閾値があります。放射線のようなありふれた刺激に閾値がないということは考えられない。

20世紀最大の科学的スキャンダル

しかしICRPは、放射能の恐怖を誇大に宣伝することが核戦争の脅威を誇張して抑止力を増すという政治的な圧力に負けて、医学界の反対を押し切ってLNT仮説を採用しました。近藤宗平氏は、LNT仮説を「20世紀最大の科学的スキャンダル」と呼んでいます。

もちろん安全のコストがゼロなら、安全基準はきびしいに越したことはないが、LNT仮説は「放射線量は少なければ少ないほどいい」という過剰な安全基準の理由になり、原子力施設のコストを数百倍にしています。たとえば放射性廃棄物のコストのほとんどは多重防護施設にかかり、その基準は貯蔵施設の中に住み続けたら発癌率が1%ほど上がる程度の非常に厳格なものです。

原子力施設のコストはこれによって実用不可能なほど高くなり、再処理施設や中間処理施設も立地が困難になりました。実質的なコストを考えれば、原子力は石炭や天然ガスより安く、備蓄が容易でエネルギー安全保障にも有利です。それを捨てることは、日本経済にとって大きな損失です。

賠償や除染の前にICRP基準の再検討を

問題は建設費が上がるだけではありません。ICRPは「この仮説は放射線管理の目的のためにのみ用いるべきであり、すでに起こったわずかな線量の被曝についてのリスクを評価するために用いるのは適切ではない」と書いているのに、事故後の補償や除染にもLNT仮説が採用されると、莫大なコストが発生します。たとえば1mSv/年以上の表土はすべて除去するという基準を適用すると、ほとんどの学校の砂場の砂を除去する必要が出てくるでしょう(東京ではそういう作業が始まっています)。孫正義氏は「福島県内の土をすべて掘り起こすと800兆円かかる」と言っていますが、この数字が現在の基準がいかに非現実的なものかを物語っています。しかしこれは、一般のマスメディアでは許されないpolitically incorrectな話です。過剰な安全基準による「安心」の恩恵はわかりやすいのに対して、そのためにかかる数十兆円のコストは広く薄く分散するからです。このような受益と負担の非対称性があるとき、後者について警告することが経済学者の役割だ、とミルトン・フリードマンは語りました。その意味で、エネルギー問題について経済

2011.9.28池田信夫メールマガジン「エコノMIX」サンプル号から転載