志位和夫の闇

志位和夫(しい かずお、1954年7月29日―)は、衆議院議員日本共産党
中央委員会幹部会委員長。血液型O型。千葉県印旛郡四街道町(現・四街
道市)生まれ、現在千葉県船橋市在住。

出身校 東京大学工学部物理工学科 前職 政党職員。

両親とも、教員で日本共産党員であった。父・志位明義(1929年―2005
年)は、日本共産党船橋市議会議員であったこともある。

伯父に終戦時の第3方面軍参謀志位正二(陸軍少佐)がいる。1954年2月
5日に「自分はソ連のスパイでした」と警視庁に出頭した。

ソ連の在日代表部書記官だったユーリー・ラストボロフが米国に亡命、
日本におけるソ連のエージェントとして志位ら36人の存在が明らかになっ
たからである。

志位は警視庁の取り調べに対して「米国のデモクラシーというものは、
他国民を犠牲にして自国の安全と平和、繁栄を築きあげる利己的なもの
である」。

「日本の平和と独立のためには、ソ連と協力してソ連・中国と平和関係
を結び、米国を日本から追い出すことしかない」と供述している。

ソ連から帰国した元高級将校には、志位と同じ考え方をするソ連派がか
なりいる。祖父は陸軍中将志位正人。

和夫は千葉大学教育学部附属小学校、千葉大学教育学部附属中学校、千
葉県立千葉高等学校卒業。同じ高校出身の神崎武法公明党元代表)は
先輩に当たる。

東京大学工学部物理工学科を卒業。大学の1年生の時から小選挙区制反対
運動をきっかけに日本共産党に入党。当時の委員長宮本顕治の家の家庭
教師として長男宮本太郎らに勉強を教えていた。

大学卒業後、党東京都委員会に就職、青年学生運動を担当。1982年から
党中央委員会勤務。

1985年、事件がおきて一躍出世のカギを握る。

<東京都委員会直属の東大大学院支部から76歳の宮本議長に対する勇退
勧告決議案が出されそうになったのだ。

提出理由は、77年の第14回党大会あたりから、宮本議長の指導に誤りが目
立ち始めた事である。特に「民主集中制の規律強化」方針によって、党
内の自由な討論を圧殺する方向に進んでいるのは問題だ、との批判。

ヨーロッパのコミュニズムが自由な討論を基に、先進国革命の新しい方
向を構築いるのと正反対で、由々しい誤りだと批判していた。

こんな事は前代未聞の事だ。党中央にとっては衝撃的だった。・・・それを
阻んだのが志位和夫だった。決議案が5名連名で提出されているのは多数
派工作(分派行動)の証拠と決め付け、5人の査問を通じて5人を権利停止
6ヶ月処分とした。

かくして宮本議長勇退勧告決議案は提出をまぬがれた。志位は宮本に高
く評価され、次の第18回党大会で33歳にして「最年少の准中央委員」に
選ばれ、次の第19回党大会では、35歳にして「新書記局長」に一挙に3段飛
びで選ばれた。

このように民主集中制を上手く使うと、党中央は大抵の事を押し通す事
ができる。>(立花隆 「文藝春秋」2007・09号「日共のドン宮本顕治
闇」)

非議員ながらも党幹部としてメディアに積極的に露出し、ソフトな風貌
と口調、そして分かりやすく切れ味鋭いコメントで党内の人気を上げ、
対外的にもソフトで開かれた党のイメージをアピールした。

1993年に旧千葉1区より出馬して衆議院議員に初当選。選挙制度が小選挙
比例代表並立制に変わった後の1996年、2000年、2003年、2005年、2009
年の総選挙では、いずれも比例代表南関東ブロック単独一位候補者とし
て立候補し、当選している。

不破哲三の後任として、2000年(第22回党大会)から幹部会委員長とな
る。平和・民主・革新の日本をめざす全国の会代表世話人の1人。

2007年5月、党首討論において民主党から共産党へ発言時間の配分するこ
とで志位和夫が出席することが見込まれていたが、公明党の反対により
出席が中止になった。

平和を願って「和夫」と名付けられたといい、周囲の人たちからは「和
ちゃん」と呼ばれて可愛がられていた。 父親に風貌がよく似ているため
地元で演説していると「先生、ずいぶん若くなりましたね」と声をかけ
られたことがあったという。身長は180cmである。

趣味は音楽、ピアノ演奏で、特にシューベルトなどのクラシックが好き。
大学進学時ピアノと物理どちらをとるか迷ったというエピソードがある。
好きな動物は猫で5匹飼っていた。

日本テレビ系「モー。たいへんでした」では辻希美からインタビューを
受けていた。「モー娘。メンバーでは誰が一番好きですか?」と聞かれ
た際、「あなたです。」と辻に答えていた。

「好きなドラマは『宮廷女官チャングムの誓い』」でイ・ヨンエの大ファ
ンである。同番組は毎回欠かさず見ていると同時に単行本も所有してい
ることを、韓国訪問時に「ハンギョレ」紙のインタビューで答えている。

2006年、党委員長として初めて韓国を訪問し、日本が併合時代に政治犯
を収容した西大門刑務所跡の歴史館を日本の政治家として初めて視察し、
追悼碑に献花した。

その際、歴史館館長と会談をし、日本共産党は当時から朝鮮愛国者の独
立の闘いに連帯しており、韓国とはこれまでいろいろな事情で交流でき
なかったが、歴史認識は同じであり、これからは交流をしていきたいと
話した。

2008年10月、ニコニコ動画に「志位和夫チャンネル」を開設。2010年4月、
歴代党委員長の中で初めて訪米した。

2005年のスマトラ沖地震、2008年の四川大地震の際には人道支援による
自衛隊海外派遣を否定しない発言をしている。

日米安保条約反対」「自衛隊憲法違反」という立場をとっている。
ただし、自衛隊については即時廃止ではなく、国民の合意を得ながら段
階的に解消するとしている。。

]永住外国人には(地方参政権において)選挙権だけでなく被選挙権も与
えるべきとしている。在日本大韓民国民団の新年会に出席した際に語っ
た。

健康管理の面からキャベツ・ダイエットに取り組んでいた。医師
から中年太りを指摘されたためと本人は述懐している。(『読売新聞』
2007年5月27日朝刊)。日本共産党が暴力革命を棄てたのは本当だと思わ
せることに努力中。出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

渡部 亮次郎

メルマガ「頂門の一針」から転載